「麒麟がくる」と家柄の話。

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明智光秀は「清和源氏」

先日もブログに書きましたが、今年の大河ドラマ「麒麟が来る」面白いですね!

(先日のブログ)

「麒麟がくる」とお金の話。
(このブログには、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第一話の話の内容が一部含まれますので、これから同ドラマを見ようという人はお気をつけください)昨日から始まりましたNHKドラマ「麒麟がくる」。今まで極悪人扱いされていた明智光秀が主人公で、...

斎藤道三が油売りから身を成して戦国大名になったという立身出世の物語は実は父子二代にわたるものだったとか、道三の娘で織田信長の正妻として歴史に名を残す帰蝶(濃姫)は最初土岐頼純に嫁いでいたとか、古い歴史観にとらわれず最新の歴史考証に基づいた設定をいろいろ取り入れていると思います!

そして主人公・明智光秀の系統についての話もちらちら出てきます。

日本の名家と言えば、古くから「源平藤橘」・・源氏、平氏、藤原氏、橘氏のいずれかの流れを組むと言われるそうですが、その中で歴史上最も栄えたのは、天皇家を源流に持つ源氏でしょう。

しかし源氏といっても、嵯峨天皇を始祖とする「嵯峨源氏」、同じように「村上源氏」「宇多源氏」など、「源氏二十一流」と呼ばれるいくつもの系統があり、明智氏は清和天皇を祖とする「清和源氏」の一派です。

(Wikipediaより)

二十一流 - Wikipedia

鎌倉幕府を開いた源頼朝や、足利幕府の足利氏、そのライバルだった新田氏、新田氏から枝分かれした徳川家と同じ系統です。

清和源氏の中でも、武士として大いに栄えたのは清和天皇の曾孫である源満仲の子孫です。(「ただのまんじゅう 武士のはじまり」という歌があります。)

満仲の子頼光の家系である摂津源氏、さらにそこから派生した美濃源氏・・と枝分かれして明智光秀に至ります。光秀の時代には「出自」というものが家柄の基準だったと思います。

(福井市・和田八幡宮にある石碑)

(和田八幡宮については以前にも書いてます)

『和田八幡宮』
数日前の話ですが・・・営業中、ちょっと時間が空き、クルマを停めた場所が神社の駐車場だったのでちょっと覗いてみました。国道8号線の近く、清川メッキ工業本社のすぐ…

江戸時代には大名の格が「石高」で示される

その後、ご存じの通り百姓出身の豊臣秀吉が天下を統一し、豊臣家を倒した徳川家康が幕府を開き、全国の大名を従えることになるのですが、織田信長の家臣であった加賀前田家や、豊臣秀吉の家来で野盗の出とも言われる蜂須賀氏など出自は色々です。この頃は源平藤橘とか清和源氏の出ということは言われなくなっていたのではないでしょうか。

当時は大名の格は、領地から収穫される米の量「石高」で示されました。

「加賀百万石」わかりやすいですね。石高に応じて参勤交代の規模が決まったりした訳です。

(石高以外にも、「御三家」「御三卿」のような、将軍家に近い地位かどうかといったような格は存在したようですが)

そしてその家老・・という具合に、各大名家の中におけるポジションで家柄が決まっていたのではないかと思います。

明治期には「紳士録」が登場

明治維新で武士=士族が没落します。そして経済力を有していた地主階級、そして来年の大河ドラマの主人公である渋沢敬一のような実業家が有力な地位を占めるようになります。

そして、有力者を一冊に記載した「紳士録」なるものが出てきます。私も昔図書館で見たことがあるのですが、出身地とか出身学校とか職業とか趣味が書いてあるのです。ここに記載がある人は世間の中で名誉ある地位にいる人・・・本当にわかりやすいですね。「紳士録」は今はもう無いようですが。

「名門」の定義は時代とともに変わる

戦前までは「家柄」というものが残っていたと思うのですが、今の時代にはほぼ聞かなくなりました。そもそも「イエ」「ムラ」が果たしていた共同体としての機能を「会社」が持つようになったのだから当然でしょう。

そしてより良い会社に入るための「学歴」も重視されるようになり今日に至っているのではないかと思います。新聞などで人物紹介をするときには「清和源氏の出」とは書かないけど出身校と職歴いや会社歴は書きますよね。

しかし会社というものが永続するとは限らない時代に突入しています。今までの歴史を振り返ると、「学歴」「会社歴」もいずれは名門の度合いや社会的地位を測る要素として扱われなく時代が来てもおかしくありません。これからどうなるのでしょうか?

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